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zoom RSS 通り魔事件と若者(松村氏の評論に反駁)

<<   作成日時 : 2008/06/09 21:28   >>

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さっきまで書いていた記事がミスで全部消えました。鬱です。では

引用元記事
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/ea/25/ 

先日、バス停で並んでいると、いきなりものすごい音がした。何かと見ると、若者が何を怒っているのか、自動販売機のアクリルケースをけって壊していた。

 八つ当たりなのか何か分からないが、いきなりキレて暴力を振るう若者が増えたような気がする

 最近の傾向として、じっと我慢してがんばる精神力が希薄になっているようだ。恋人づくりも苦手な若者が増え、簡単にメイド喫茶のようなところで、疑似恋人をカネで買って満足する。

 自分の気持ちや誠意を女性に伝えて口説く力がなく、思い通りにならないとストーカー的な振る舞いに出たり、暴力を振るう。それが、テレビゲームやパソコン、インターネット、ケータイの影響なのかよく分からないが、通り魔の金川容疑者もゲームにのめり込んでいたようだ。

 自分を表現し、相手と通じ合う力がないものだから、すぐに武器を持ちたがる傾向も強い。おとなしい人間が刃物を持った瞬間に人が変わって暴力的になる。武器によって自分が強くなったと浅はかな勘違いをしているのだが、そのままキレて通り魔になってしまうのだから始末におえない。
(中略)

健康な体に健康な精神が宿る

 佐世保の事件で、犯人が猟友会に入っていたことから、警察も猟銃の規制強化に乗り出したようだが、日本を米国のような銃殺人の社会にしないためには、まず一つ目の対策として銃やナイフなど武器を極力、手に入れにくくするべきだろう。

 二つ目の対策は防犯カメラの増設だ。

 今年5月に京都府舞鶴市の高校1年生が殺害された事件で、道路に設置された防犯カメラに被害者と思われる若い女性と別の人物が一緒に歩いている姿が映っていた。もし、もっと多くのカメラが設置されていたら、犯人を特定する手がかりになったかもしれない。

 通り魔事件が増えている今日、防犯カメラの導入に反対する人は少ないのではないか。

 三つ目の対策は若者の身体を鍛えることだ。外で遊びやスポーツもせず、家に閉じこもってゲームにのめり込む生活がどう考えてもいいわけはない。

 身体を動かし、鍛え、健康な肉体になれば、精神も健康になる。


 子どものころ、おとなしくていじめられていても、空手やスポーツで身体を鍛え、強い精神力を獲得した人も多い。

 例えば、ボクシングで世界チャンピオンになった内藤大助選手も子どものころ、いじめられていたので、強くなるためにボクシングを始めたという。

 他の一流スポーツ選手も同じような子ども時代を過ごした人が少なくない。


下線・太線は引用者

さて、下線部については松村さんの憶測に過ぎません。
なんらなの根拠を持って述べているのでしょうか。
私としては、「最近の若者は・・・」というありきたりの論調にしか見えません。
http://q.hatena.ne.jp/1129514022 
ここにあるとおり、そういった傾向ははるか昔から連綿とあるので、否定するつもりもありませんが、
まず自らが若者と対話し、向き合ってみては如何でしょうか。

そして、太線部にいたっては大きな間違いです。


 四月十九日。月曜日。
 だいたい晴れ。きょうは、実に不愉快だった。もう、蹴球部(しゅうきゅうぶ)を脱退しようと思った。脱退しないまでも、もう、スポーツがいやになった。これからは、いい加減に附(つ)き合ってやるんだ。きゃつらが、いい加減なのだから、仕様が無い。きょう、キャプテンの梶(かじ)を、一発なぐってやった。梶は卑猥(ひわい)だ。
 きょう放課後、部員が全部グランドにあつまって、今学年最初の練習を開始した。去年のチイムに較(くら)べて、ことしのチイムは、その気魄(きはく)に於ても、技術に於ても、がた落ちだ。これでは、今学期中に、よそと試合できるようになるかどうか、疑問である。ただ、メンバーがそろったというだけで、少しもチイムワアクがとれていない。キャプテンがいけないんだ。梶には、キャプテンの資格が無いんだ。ことし卒業の筈(はず)だったのに、落第したから、としの功でキャプテンになったのだ。チイムを統率するには、凄いキックよりも、人格の力が必要なのだ。梶の人格は低劣だ。練習中にも、汚い冗談ばっかり言い散らしている。ふざけている。梶ばかりでなく、メンバー全体が、ふざけている。だらけている。ひとりひとり襟首(えりくび)をつかまえて水につっ込んでやりたい位だった。練習が終ってから、れいに依(よ)ってすぐ近くの桃の湯に、みんなで、からだを洗いに行った。脱衣場で、梶が突然、卑猥な事を言った。しかも、僕の肉体に就いて言ったのである。それは、どうしても書きたくない言葉だ。僕は、まっぱだかのままで、梶の前に立った。
「君は、スポーツマンか?」と僕が言った。
 誰かが、よせよせと言った。
 梶は脱ぎかけたシャツをまた着直して、
「やる気か、おい。」と顎(あご)をしゃっくて、白い歯を出して笑った。
 その顔を、ぴしゃんと殴ってやった。
「スポーツマンだったら、恥ずかしく思え!」と言ってやった。
 梶は、どんと床板を蹴(け)って、
「チキショッ!」と言って泣き出した。
 実に案外であった。意気地の無い奴(やつ)なんだ。僕は、さっさと流し場へ行って、からだを洗った。
 まっぱだかで喧嘩(けんか)をするなんて、あまりほめた事ではない。もうスポーツが、いやになった。

健全な肉体に健全な精神が宿るという諺(ことわざ)があるけれど、あれには、ギリシャ原文では、健全な肉体に健全な精神が宿ったならば! という願望と歎息(たんそく)の意味が含まれているのだそうだ。兄さんがいつかそう言っていた。健全な肉体に、健全な精神が宿っていたならば、それは、どんなに見事なものだろう、けれども現実は、なかなかそんなにうまく行かないからなあ、というような意味らしい。
梶だって、ずいぶん堂々たる体格をしているが、全く惜しいものだ。あの健全な体格に、明朗な精神が宿ったならば! だ。
 夜、ヘレン・ケラー女史のラジオ放送を聞いた。梶に聞かせてやりたかった。めくら、おし、そんな絶望的な不健全の肉体を持っていながら、努力に依って、口もきけるようになったし、秘書の言う事を聞きとれるようにもなったし、著述も出来るようになって、ついには博士号を獲得したのだ。僕たちは、この婦人に無限の尊敬をはらうのが本当であろう。

ラジオの放送を聞いていたら、時折、聴衆の怒濤(どとう)の如(ごと)き拍手が聞えて来て、その聴衆の感激が、じかに僕の胸を打ち、僕は涙ぐんでしまった。ケラー女史の作品も、少し読んでみた。宗教的な詩が多かった。信仰が、女史を更生させたのかも知れない。信仰の力の強さを、つくづく感じた。宗教とは奇蹟(きせき)を信じる力だ。合理主義者には、宗教がわからない。宗教とは不合理を信ずる力である。不合理なるが故(ゆえ)に、「信仰」の特殊的な力、――ああ、いけねえ、わからなくなって来た。もう一辺、兄さんに聞いてみよう。


太宰治
「正義と微笑」より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1577_8581.html 

健全な精神は健全な肉体に宿るのではない。
健全な肉体にこそ健全な精神が宿ってほしいという願望なのである。

健全な精神は健全な肉体にのみ宿ると断言したのは、アドルフ・ヒトラーが「我が闘争」の中で述べたものである。
故に、彼はボクシングを奨励した。それが、チャップリンのパロディにも現れているのだが、余談だ。

だいたい、健全な肉体に健全な精神が宿るとするならば、
京大アメフト部や同志社大ラグビー部の強姦事件、関東学院大ラグビー部の大麻所持事件はどうやって説明したらいいのですか?
彼らの肉体は不健全だったのですか?


そういった、前近代的な理論は捨ててほしい。願望としてはわかるが、現実はそうでもないのである。

スポーツをやれ、というのはわかる。実際このブログもスポーツのブログだ。
が、やらないのも一つの選択肢であり、それを強制的に奨励するのはまるでおかしい。

芸術家や小説家は不健全なのか?そんなことはあるまい。狂気の作家の作品は唾棄すべき存在か?それも違う。


防犯カメラについては賛否両論あるが、自分は反対だ。
よき方向に用いるのならば、それはいいかもしれない。
が、よくない方向に用いる人間が必ず現れるのである。
それを考えれば、あまりに危険である。

例えば、あなたが政府を批判したとしよう。
そうしたら、突然「カメラに貴様の姿が映っていて、怪しげな行動をしたから逮捕する」などといわれることがありえるのだ。
別件逮捕だって格段にしやすくなるだろう。そうやって、また幸徳秋水のような人間を作ってしまうのだろうか。それは間違っている。


まとめ

松井氏の独善的な論調には反駁すらためらい、一種の諦観さえ思えます。
きっと、これだけ反駁しようと意見は1ミリだって動かないと思いますが、

一般的に言われていることだって疑わなければならない
物事を書く際には論証が必要

という、物を書く上での基礎すら成り立っていない、そんな危うい土壌の上に書かれたこの論評には、一片の信頼性さえ見られません。
自分のような高校生ごときにこれだけ反駁をされるような人が、大手を振って「格調高い」記事を書かれるのははっきり言って人々をさらに無思考にさせているようにしか思えません。


自分としては・・・
とりあえず、体を鍛えることも重要ですが、古典に触れることの方がよほど重要かと思います。
古文を読めとはいっていません。優れた作家たちが優れた作品を残してくれているのですから、そういうのを読まない人間こそが、「不健全」であると思います。勿論、古典を読むことによって思想が固定化されるというのはわかりますが、それ以上に古典の世界は広いと思いますよ。

(ミスのご指摘をいただきましたので、早速修正させていただきました。ありがとうございました。)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
関東学院大学ラグビー部の事件は、強姦ではなく大麻所持ですよ。
sakura
2008/06/10 23:35
・松村氏の言説は、突っ込む価値すらありませんな。しかし需要があるのも事実。
・原語だと「宿れかし」になっているというおはなし。最初に言い出した古代ギリシャ人のなんとかさんも「宿ってほしいなあ」と願っていたわけで、これはつまり当時から宿していない奴が多かったということの傍証になろうかと。
・太宰は生涯、その貧弱な肉体にコンプレックスを持っていたそうで。よたばなし。
八柾
2008/06/11 15:34

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