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zoom RSS 泣けてくるんだ

<<   作成日時 : 2008/10/18 22:37   >>

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今日も、練習でした。
最近の練習は日本経済もびっくりのインフレ状態が継続しておりまして、伸び率の良くない方々は苦労されているのではないのでしょうか。
例年よりも選手の力が高く、その分練習の質が上がるのは必然なのですが、強くない人たちにとっては苦行を通り越して拷問以外の何物でもないわけでして。
自分ですか?まだ怪我が治っていません。

今日も、「まだ治らないの?みんな疑問に思っているよ」とチームメイトに言われてしまいました。
辛いです。


今日の練習は16kmのビルドアップ(4km毎に3'50-3'40-3'30-3'20)でした。
3時過ぎから練習を始めたため、気温としては少々暑く、けが人の自分が給水係をしていました。

給水は初夏からもう長いことやっていますからすっかり慣れていて、どの選手がどのタイミングで水を要求してくるかが走り方や目の輝きなどからわかるようになってきました。渡し方についても、相手が受け取りやすいような方法を研究しましたから、ほぼミスなくできるようになりました。

トラックの内側に入って冷水の入ったペットボトルを渡すのですが、16kmも練習が有ればその時間は約1時間にも及び、水を渡してペットボトルを回収するという作業を繰り返せばそれは意外にも重労働です。


序盤は、皆さん体力も十分ですから、渡すときにもある程度配慮していただけます。取り方が優しいのですね。

中盤になってくると、力のある選手は過熱状態になるのをおさえるために水をとり、集団から今にも後れそう、もしくは後れてしまった人にとっての水はいわば「気付け水」、気持ちを切り替えるためにとる水なのです。
そして、集団のペースも上がってきますから、渡す側としてもそれなりの考えが必要になってきます。
渡す手の位置、相手との速さなど・・・

しかし、今日はいつもと少し違いました。
みながあまり後れないのです。
残念ながら、力がない選手は8kmくらいで集団から脱落し、一人旅をすることになります。自分自身も何度も経験しました。集団走以上に精神的、肉体的に過酷であり、見ている側としても辛いものがあります。
ですが、今日はなぜだか集団がいつもより大きいのです。
みなが、懸命に集団に着こうと、後れまいと駆けているのです。

自分はと言えば、6ヶ月という異例の期間トラックを離れ、「どうして走らないんですか?」と聞かれ、「もう治っているんじゃないの?」と訝られ、今だってペットボトルを懸命に走るチームメイトに渡すくらいしかできることがないのです。

先日発表された高校駅伝予選メンバー10人にだって、自分が3月に記録したベストタイム「16'47」に届いていない選手が3人もいます。
もし、あのとき、怪我をしていなかったら。いや、もっと早く怪我を治していたら。きっと、自分にそれはできたはず。
ならば、今頃選手としてチームの戦力になっていたのではないか?駅伝だって走れたのではないか?

集団走の美しさになのだか、それとも自分の不甲斐なさになのか、10kmあたりで無性に泣けてきました。

今は練習中だ、泣いたらみなに不審な眼で見られるし、何より練習に集中できなくなるじゃないか。泣くな。今は仕事に集中しろ。

そうやって、必死に自分を落ち着かせてみたものの動揺は収まらず、3度ほど連続して水の受け渡しを失敗していまいました。

「ごめんなさい!」

と走り去る選手たちに声をかけるくらいしかなく、選手は零れる水をやや残念そうな目で見送り、また前を向く。

遂に自分が今できる最後の仕事すらも全うできなくなったか、自分も終わったな・・・
事務作業についても散々叱られ、マネージャもクビになり、怪我をして迷惑をかけ、問題発言でチームの士気を下げ、優勝旅行の件で学校を騒がせた。ここが・・・潮時か。

でも、この練習が終わるまではここで仕事をしよう、1回くらいは受け渡しできるかもしれない。職務放棄は大罪だ。


ペットボトルに水を入れ直し、そうしてまたトラック脇に立ちました。

それからは目立ったミスもなく、滞りなく練習も終わりました。

練習が終わると、みなは「給水ありがとうございました」と言ってくれる。自分としてはこれくらいしかできることがないし、本来なら集団を引っ張るなりしてもっと直接的に貢献したい。だから、100%には喜べない。
最近はなぜだか練習後のミーティングで顧問の先生にもお褒めにあずかっているけれど、それとて同じ。走れない自分なんて、陸上長距離という競技内ではクズ同然だ。


3年のKから話しかけられました。筋トレをしたいから手伝って欲しいとのこと。
筋トレ中、彼に・・・なんと言われたのかわかりません。ですが、確か自分はこのように返したと思います。

「いやさ・・・なんか、今日の練習見てると無性に泣けてきたんだよね、だって、ほら、さ・・・みんなの走っている姿を見ていると、なんていうか、さ・・・」


詳細については曖昧です。自分自身でも、よく思い出せません。けれど、自分はなにか自分の中でずっとわだかまりとして残っているものを彼に吐き出そうとして、でも、それをうまく言語化できなくて、そして、言ったところでしかたがないことに気がついて、飲み込んだのでした。



果して、今、自分は、本当に、怪我を治したい、と思っているのか。


インフレ中のこの練習に、復帰する意志があるのか。
残りの3ヶ月を、もう一度マラソンにかける情熱があるのか。




その時、左足のアキレス腱に痛みが走りました。


この怪我は、実はもうとっくの昔に治っているのかもしれません。
今日だって、走ろうと思えば走れたのかもしれません。
なのに、自分はこうやって給水係をしている・・・。

自分の両アキレス腱は練習になると痛くなる。
日常生活でも痛くなる。今このブログを書いている現在も痛い。

かと思えば、全然痛くないこともある。
バスケットボールでジャンプシュートが出来るくらいのときだってある。



でも、その痛みは、本当に、痛いのでしょうか?
本当に、自分は走れないほどにアキレス腱を痛めているのでしょうか?




・・・わかりません。Dr.は「走れると思うよ」と2月も前から仰っています。
「あとはストレッチとマッサージだね」と言われ、毎日ぐいぐいやっています。いえ、やっていないのかも知れません。
やっていないのでしょう。だから、治らない。



やはり、自分には治す意志がないのでしょう。
治す意志が有れば、きっと駅伝だって走れたはず。
自分は、心のどこかで、陸上競技から逃げている。
そう、言わざるを得ない状況が今目の前にある。




「走りたい」



本当に、心の底からそう思っているのか?


競技場に行けば走りたくなる。でも、それはきっと競技場にきたから「せっかくだから」走りたいだけで、トラックを親御さんと一緒にとことこ走る子供たちと同じ。
チームメイトの走りを見ていると走りたくなる。でも、それはきっと自分の中に残る後悔と罪の意識、悔悟の念からいずるもので、決して心から走りたいと思っているわけではない。ネガティヴな感情であって、前に進みたいというよりは、後ろに戻りたくないから走りたい、そんなところ。


・・・でも、そもそも自分は心の底から走りたいと思ってこの競技を始めただろうか?



・・・最初はそうだった。でも、3日もしたら心の底から走りたくなくなっていた。
走ることが、習慣になったのだった。


そう、そもそも自分は走りたくてこの部活をやっていたわけではなかったのだった!



では、何故今この感情が今湧起ってくるのか?



やっぱり、チーム、そしてチームメイトに対する申し訳なさからなのでしょう。




あとは、自分自身に渦巻く「走る」ことに対する恐怖の念に打ち克つだけ、ですね。
今、復帰したってろくに走れる訳じゃない。
それでも、復帰する意味はなにか?

意味なんかないと思いますけれど。

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内 容 ニックネーム/日時
走りたくないなら、走んなきゃいい。
申し訳なさから走ったところで、だれのため、なんのためになる?
それで失うものがあっても、ぐだぐだ苦しむよりはよほどましかと。

正論しかいえない人間なので、あえて書いたよ、と。
RAM
2008/10/19 21:26

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