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zoom RSS 道程石・追記

<<   作成日時 : 2008/11/10 21:39   >>

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※追記 11/10

次へつなげて欲しいから叩く?
彼ら自身が、傍観者たる自分たちよりも状況だってわかっているはずだ。
駅伝やロードレースは、走った本人にしか状況はわからない。
TV中継でもあれば別だが、それでも風の状況はわからないし、断片的な情報しか得られないのだ。
聞きかじったような情報で、ちょっと観ただけの範囲で、猛烈に批判を加えるのは何事か。


獅子は自らの子を崖から突き落とす、なんていうのは真っ赤な嘘。
生物学的にあり得ないし、そんなことしたら死んでしまうそうだ。
なぜ、ではそのようなことが出回ったのか?
すなわち、そのシーンは「育児放棄」の瞬間だったのである。
自ら突き落とす可能性があるとしたら、それは(自己保身のための)「育児放棄」の瞬間のみなのだ。
うちの顧問が、そんなことをするとは思えない。
で有れば、もうすこしほめるなり、評価する点としない点の両方話すべきだったのである。
ほめなかったのは、意図的だったとは思う。そういう人だから。
で、自分のような批判があるだろうと言うこともわかっている。
それでもなお、「そんなことは承知、どうでもいい、いわせたいやつにはいわせておけ」という人である。
だからこそ、自分は批判を加えなければならない。無駄だとはわかっていても、である。

・・・我が校の成績システムを例にとろう。
我が校は、3-10の8段階で評価される。6が及第点、7が平均点、教科毎に出し、平均が6を切ると落第、留年である。
しかし、まれに「0」がつくことがある。どういうことか?

それは、「カンニング」したときである。

出走できた時点でまず、3は確保。
それからの結果次第で10までを狙っていくのが駅伝と考えて欲しい。
もちろん、全員の目指すところは10で有ることに間違いはない。
しかし、完走した時点で、4の評価だ。
完走できなければ、3がついても仕方がない。

つまり、「例え大ブレーキであっても、0点ということはない、40点という自己評価はあるかも知れないが、何もなかったと思うことはない」と言いたいのだ。
様々な困難を乗り越え、スタートラインにたち、次の選手に襷を繋いだ時点で、その人の最低限の仕事は果たしている。
それを、「6」と評価するか、「3」と評価するかは人によって違うだろう。自分は「6」と評価しているのだ。
大失敗した、という人がいても、本当の意味での大失敗は「棄権」とか「繰り上げスタート」である、と思っているのだ。
その棄権でさえ、場合と状況によっては「勇気ある棄権」と評価するくらいかも知れない。
実際、2年Tに対してはそういう評価をしている。

今、こうして記録があり、チームがある中で、記録の受け止め方が深刻すぎるのだ。
「絶望した」と試合中に思ったらしい顧問。次善の策を打ったのか。
「そんなもの、駅伝には存在しない」、と言いはなったが、ならば、いかにして最善を維持するかの策を講じきったのか。
そして、善後策を講じているのか。

評価するべきところを評価しなければ、次回につながらない。
この、「評価」には良い面についてもあれば、悪い面についてもある。
何が良かったのか、何が悪かったのか、良いところを残しつつ悪いところを改善するにはどうしたらよいのか。
駅伝や長距離というのは、本来積み重ねによる競技だと思うのだが、なぜか、自分たちの部にはそういった「建設的」な意見が呆れるほどに欠如していると思うのだ。
別に、「なんでもかんでもめちゃめちゃ明るく評価しよう」とは言っていない。
ただ、みながあまりにも悲観的だったからひとり、「ひとりくらいは明るい話だけをしてみるのも面白いだろう」と思ったのだ。
残念ながら、総勢20人以上に及ぶ悲観的な意見には、バカみたいに明るい意見も及ばない。
むしろ、言ったほうがけちょんけちょんに叩かれるのは、よほどの実力者や話芸の達者なものでない限りは必定。

ちなみに、話す前と話したあとでチームメイトの自分に対する視線が変わったのはいうまでもない。
軽蔑の視線だ。
が、そんなもの、知ったことではない。
そう思うのであれば、それでいい。
実際、記録は良くなかったのだから。
そうやって、ずっとうじうじしていればいいのだ。それだって、知ったことではない。

なにしろ、自分たちには次はないのである。
最後を評価せず、このまま終わるのでいいなら、別に構わないが。
後悔だけ残って終わってもいいのなら、別に構わないが。
最後の駅伝で失敗しました、残念でした、でいいのね。
自分は、5月の怪我でこの駅伝すらも棒に振った。
そう、「3」すらつかない、「0」である。
自分一人がいたところでチームが変わったかどうかと言えば、まずどうにもならなかっただろうし、
むしろ、(いろいろな意味で)嵐を呼ぶので、いなければチームの雰囲気も変わっていたかも知れない。
それも、最後は結果論に過ぎない。

そして、自分が言いはなった数々の「妄言」だって、結局は結果論なのだ。


失敗から学ぶことは何もない。
失敗をしたあとに「考えて」、それを生かして成功することによって初めて「学ぶ」のである。
「あ、だからあのとき失敗したのか、そして、こうしたからうまくいったのだ」と。

失敗だけでは、何も学んだことにはならないのだ。

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